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沿革(=物事の今日までの移り変わり、変遷)
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整骨院とは何か?
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@ 日本における「柔」と「ほねつぎ」 |
有史以来日本民族の伝統と建国精神は「文武」であった。このため「接骨の技」も医術同様時代の推移に伴い先人たちのたゆまざる努力によって追求された。これに海外からの技術導入がありさらなる発展向上を遂げ、日本国内に今日の「柔道整復」の基本概念ができた。戦国時代の書物の中には「殺法」「活法」があり、前者は武技そのもので(柔術の場合は当て身技、投技、絞技、関節技、固技がこれに当たる)、後者は傷ついた方の治療法、手当てであった。(骨折、脱臼、打撲、捻挫等の外傷を治すものや出血、仮死者に対する蘇生法等も含まれた)現在も柔整の施術の方法には、その心構えや体技が根強く基本の姿として伝承されている。
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A 海外との交流(江戸時代まで) |
仏教伝来より中国・韓国・中近東(シルクロ−ド)との交流はさかんで、わが国では遣唐使の一行に医学留学生を加え、国家の事業として医療技術の導入に努めた。また民間の交流は鎖国が行われるまで1000年余り続いた。西暦984年、丹波康頼の『医心方』は、現存するわが国最古の医書であるが、隋唐の医書約200部より百余家の説を集録したもので、その第18巻は脱臼、骨折、打撲、創傷等について記載されている。
徳川期に入り、1619年陳元賓は中国少林寺伝統の拳法と整骨術をわが国の柔術家、福野正勝等に伝授した。
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B 欧米医学の流入 |
16世紀の後半から17世紀にかけて、オランダ、イギリス、ドイツ、フランス等の科学、医学が流入し、人体構造、解剖学についても杉田玄白(1774年『解体新書』を著す)、その他多数の研究家により西洋医学(解剖、病理、内科、外科、産婦人科等)の研究が盛んに行われた。なかでもフランスのアンブロワズ・パレの優れた外科学は、わが国の接骨術に大きな影響を与えた。こうした東西の医学に日本独自の研究の成果を加え、三浦流柔術の祖で医師でもある三浦楊心は、整骨術を発明し、武人吉原元棟は拳法と按摩術により、『正骨要訣』を著し外科の一派として整骨科をおこし、秋山四郎兵衛義時は小児科医で楊心流柔術の祖となり整骨術を編み出した。続いて二宮彦可、各務文献が中国医学を取り入れ修正補強し、華岡青州は伝統の整骨法に蘭法の長所を加えますます整骨医術を特徴あるものとした。このほか高志鳳翼、名倉直賢らにより江戸末期にはわが国の外科、整骨術は一応の頂点に達した。
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C 明治期 |
明治維新により、明治7年に「医制」が制定され、西欧万能の医制改革が行われていった。明治14年には漢方医学の廃止に伴い古来の整骨術はほとんど顧みられなくなった。これを法律上からみると、明治18年の内務省達入れ歯、口中療治、接骨営業者取締法(医術開業試験を受けること)が施行され、接骨業の既得権者は激減した。
その後明治45年公認期成の運動を発端に、柔道家による接骨業公認運動が繰り返し行われ、大正9年に内務省令をもって「按摩術営業取締規制」の準用により「柔道整復術」という名称で公認された。(同年第一回の資格試験が施行される)
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D 大正から戦前まで |
かくして大正9年、近代柔道整復術が誕生したが、その基盤は柔道と接骨であった。接骨は東洋医学よりも近代西洋医学を取り入れた医学の一部として発展していく。当時この資格は、医師または柔道整復師のもとで柔道の教授をなすものであって、4年以上臨床実習をした者に受験資格が認められ、都道府県知事の開業試験を受けてその鑑札を受領した。同年「按摩術営業取締規則」の一部が改正され、その第五条の2に「営業者(按摩)は脱臼又は骨折の患部に施術をなすことを得ず、但し医師の同意を得たる病者に就いてはこの限りにあらず」と記されている。その付則には「柔道の教授を為す者において打撲、捻挫、脱臼及び骨折に対して行う柔道整復術について本則の規定を準用する」とある。こうして柔道整復術の法的基盤ができたわけであるが、当初ははなはだ基盤の弱いものであった。
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E 戦後期 |
第二次世界大戦後、昭和21年に厚生省令第47号で新たに「柔道整復術営業取締規則」となったが、内容はそのままであった。これが新憲法で失効となり新しく昭和22年に「按摩、鍼灸柔道整復等営業法」となり、免許資格における従来の柔道はやや後退した。現在の柔道整復師法はこれが原点となっている。さらに昭和26年9月文部厚生共同省令により柔道整復師も、鍼師も、灸師も、学校を卒業して資格試験を受けることになった。(業務範囲については大正9年当時から同じである)
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F 昭和45年単独法 |
昭和45年に法律19号にて従来の按摩、鍼灸柔道整復師より「柔道整復師法」として単独法になった。しかし、内容はその当時の法217号から単純に分離しただけで、(一部罰則等に変更はあったが)、この分離にあたり今後「X線」を使ってはならないことと、柔道整復師がもっと勉強することの付帯決議も付けられた。業務内容の法的基盤は大正9年当時とほぼ同じだが、柔道家のためのものということは大分後退し、学校に入学しようとするものに従来の「柔道の相当の実力」でなく「柔道の素養」を条件とすることになった。
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G 指導要領 |
昭和51年2月12日に指導要領が定められ教育内容が整備された。その内容は教科時間の合理的整備、骨折、脱臼、捻挫および、筋腱等の軟部損傷等(脱臼)の研修、柔道整復術としては整復、固定、後療法の習得、後療法は手技、運動、物理療法の習得を規定したものであった。その後平成5年度から国家試験が開始され、現在に至っている。
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H 柔道整復術の目的 |
「柔道整復術」とは「運動器の急性皮下外傷」に対する施術であり、施術目的は「正しい整復とともに患者の肉体的な苦痛を一刻も早く取り去り、患部の回復を図り、早期に社会復帰させることにある」とされている。 |